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​俳句結社「森の座」

出発のことば

 俳句というこの極度に短い詩形のことばは、だからこそ終には祈るということそのことであるに違いありません。朝な夕なに在家の者が誦す勤行集という経本があります。それをひらくと開経の偈の終りに、願解如来真実義という句が見えます。願解(がんげ)というのはどうしても知りたいということです。あるいはよく勤行集に収録されている観世音菩薩普門品第二十五では、念彼観音力ということばと並んで、常念恭敬(じょうねんくぎょう)ということばが畳々と誦されます。キリスト教も同じこころの時祷書をもつ。時祷というのは一日定時八度にわたって祈祷をかさねる日課だからです。それこそ常念のこころなのです。ミレーのあの晩鐘を思ってみればいい。定時晩祷のための鐘が鳴りわたるとき、人々はたずきの営みから離れて野良にいてさえ祈りに入ります。いや、たずきの営みというものがあればこそ祈りに入るのです。

 ライナー・マリア・リルケにその常念にこころかよわせようとする『時祷集』という詩集があります。《我等は職人にして―見習い、徒弟、棟梁。/そして汝れを、高やかの身廊を建てん者。/そして折に真摯なる旅人は来たりて/一閃の光の如くに我等数多の者の心をよぎり/波動となっては我等に新たけき骨あひをば教へゆく》―そんな旅人を、中村草田男という探究者をわたしたちは知っています。中村草田男の生涯と作句営為は常に、いのちひとつにその高やかの身廊を築こうとしていました。わたしたちはこの乏しき時代にいま一度わたしたちのいのちの真実義をもとめてみましょう。たずきの中で、たずきに流されずに、鐘の音の到らんとする予感を覚えるつど、なにかの光がよぎらんとするつど、この探究者とともに常念祈りのごとき作品を生みだしてゆきましょう。

 

                               「森の座」代表 横澤放川

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